NBAレジェンド レイカーズ コービー・ブライアントの凄さ まとめ

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こんにちは!コービー大好きな

ShoHaru(@Kobeshima8)です。

NBAレジェンドの第1回目を飾るのは、コービー・ブライアント(Kobe Bryant)です。

バスケットボールをしていた僕がNBA史上最も憧れた選手であり、最も印象深い選手であるコービー・ブライアントを紹介していきます。

レイカーズ一筋20年でNBAキャリアを終えたコービー・ブライアントは何が凄かったのか?

KOBE BRYANT

基本情報

出身地:アメリカ合衆国
生年月日:1978年8月23日(享年41歳)
身長/体重:198cm/96kg
出身校:ローワー・メリオン高校
NBA所属チーム:ロサンゼルス・レイカーズ
背番号:8、24(永久欠番)

主な獲得タイトル・偉業

NBA優勝:5回(スリーピート(3連覇)、バックトゥバック(2連覇))
ファイナルMVP:2回
レギュラーシーズンMVP:1回
得点王:2回
オールスターMVP:4回
オールNBAファーストチーム選出:11回
 ※ポジション別にNBAから最高の5人を選ぶ
NBAオールディフェンシブファーストチーム選出:9回
 ※ポジション別にNBAから最高のディフェンダー5人を選ぶ
スラムダンクコンテスト優勝:1回
北京五輪&ロンドン五輪:金メダル

NBA75周年記念オールタイムチーム

通算得点:33,643得点(歴代4位)
1試合での得点:81得点(歴代2位)
引退試合での得点:60得点

NBAの公式サイトでコービーの成績をチェック

プレースタイル

ブラックマンバ(毒蛇で攻撃が素早く致死率が高い)という愛称がついていることから想像できるように、狙った獲物は逃さない。

1on1で絶対的なオフェンススキルを持っていて、ディフェンダーを身震いさせていたと思います。

あのレブロン・ジェームスも1on1ではコービーには歯が立たなかったのは有名は話です。

利き手ではない左手でスリーポイントを決めたり、バリエーション多彩なオフェンスパターン、フィニッシュで観客を魅了。

そして、オールNBAディフェンスファーストチームに選ばれていることからも分かるように、ディフェンス力も高く、総合してレベルの高いスーパースターでした。

身体能力も全体的に高く、負けず嫌いで練習熱心であり、誰よりも練習していた練習の虫だったようですね。

一方で、シュートを打ちすぎるといった批判もあり、シーズンで平均FG%が50%を超えたことはなく、チームを勝たせられないという声も多く聞かれました。

それでも、終了間際のクラッチどころでのコービーの決定力や爆発力は目を見張るものがあり僕を含めたファンを魅了し続けていました。

シャックことシャキール・オニールが2004年に抜けた後は、プレイオフには出るものの、そこから勝ち進めない時期もあり、難しいシーズンが続いていました。

そこに、2007‐2008シーズンの途中にパウ・ガソルが加入したことでインサイドの補強が進み、大きく状況が好転し、コービーもシーズンMVPを獲得

このシーズンこそファイナルでボストンセルティックスに敗れたものの、翌2008‐2009、2009‐2010シーズンは2連覇を果たし、両シーズンでファイナルMVPを受賞しました。

その後は優勝から遠ざかり、2015‐2016シーズンを最後に現役引退を表明。

しかし、今では伝説となった引退試合のユタジャズ線で脅威の60得点を叩き出しチームを勝利に導きました。

ジョーダンの後継者

コービーはマイケル・ジョーダンと体格が似ていたり、ポジションも同じSG(シューティングガード)であることから度々比較されていました。

恐らくコービーもジョーダンを意識してプレーをしており、ポストアップしてからのフェイダウェイシュートは驚くほど似ていました。
(誰しもが憧れていた技で、僕も憧れて真似していたのは言うまでもありません)

コービーが活躍するまでにジョーダンの後継者と呼ばれる選手が多くいましたが、コービーほどプレイスタイルだけでなく、闘争心までもが似ている選手は間違いなくコービーだけだと思います。

アンファニー・ハーダウェイ(ペニー・ハーダウェイ)、グラント・ヒル、アレン・アイバーソン等、ネクストジョーダンと呼ばれる選手はいましたが、コービーほどジョーダンに近い存在はいなかったでしょう。

事故による終焉

その日は突然やってきました。

2020年1月26日ヘリコプターの墜落事故により、娘のジアナと共に天国へと旅立ちました。

朝起きてこのことを聞いたときは、「なんで?」としか答えらず現実感がありませんでした。

しかし、ニュース等でコービーの事故を聞くたびに胸に穴の開いたような状態で、自分でもびっくりするほどの喪失感に駆られていました。

画面越しにしか見たことのない憧れのスーパースターは、それほどまでに自分に影響を与えていたということだと思います。

常に全力で戦い続けたコービーのプレーは脳裏に焼き付いていて、心の中にこれからも残り続けるでしょう。

やはり、この記事の最後はコービーが引退試合の後に残した言葉で締めくくりたいと思います。

Mamba Out

RIP Kobe Bryant

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